韓国人女性Mちゃんと大雪の池袋で再会!
世界一周旅行の最初の都市バンクーバーを後にし、旅を満喫し無事日本へ帰国しました。
それから1年数ヵ月後の2001年1月、バンクーバー時代に知り合った同じPLIの学生だった日本人女性Mちゃんから、韓国人女性Mちゃんが日本にいることを聞きました。
私は日本人女性Mちゃんの連絡先など全く知らなかったので連絡を取り合える仲ではなかった。しかし、ある事件が起きたおかげで連絡を取れるようになった。
そのある事件とは、
バンクーバー時代友達だった台湾人女性Yちゃんが2000年10月に日本に観光に来るとメールが届いた。その時、私の家と他の日本人女性の友達の家に滞在すると言っていた。
私はYちゃんが来日する直前に盲腸になってしまい、最終確認をしたかったYちゃんは私と急に連絡が取れなくなったので、日本人女性Mちゃんに私の連絡先を教え、そのMちゃんが私の実家に連絡してきた。運よく私の入院の準備をしに来ていた姉(親は旅行中で不在だった)と話すことができ、日本人女性Mちゃんの連絡先を知ることになった。
結局、Yちゃんは私と会えないということで来日をキャンセルすることになった。(ごめんね、Yちゃん)
この事件のおかげで日本人女性Mちゃんと時々連絡をとるようになり、韓国人女性Mちゃんと接点ができた。
日本人女性Mちゃんから韓国人女性Mちゃんのことを聞いた時は、なんとなく覚えている程度だった。日本人女性Mちゃんが「韓国人女性Mちゃんが会いたい」と言っていたよと言われていなければ会ってなかったと思う。(本当に韓国人女性Mちゃんが会いたいと言ったのかは定かではない。)
というのは私はその当時、とても大変な時期だったからだ(2度の盲腸、失恋、最愛のペットの死、就職したばかり)
でも理由はともあれ、何度か連絡を交わした後、2001年1月27日(土)大雪の中、約2年ぶりに池袋で再会した。8年も前の話だが、今でも鮮明にその時のことを覚えている。
黒髪のロングヘアーで色白のMちゃんは、寒さのせいか鼻の頭を赤くしていた。白のロングコートを着ていたMちゃん、とても似合っていたこともよく覚えている。
久しぶりに会った、Mちゃんはバンクーバーの時よりも大人びた感じになっていた。
友人が働くダイニングバーに行き、お互いつたない英語で会話をした。
ダイニングバーで働く友人にMちゃんのために「何か飲みやすい飲み物」をお願いした。このことで私に対して感じを悪くしていたとは思わなかった。日本語のできないMちゃんは、安い飲み物をお願いされたと思ったそうだ。(数年後、Mちゃんから聞かされる)
特に話しは弾まず、Mちゃんはつんと済ました感じでむしろ私にとっても感じの悪い女性だった。食事をご馳走しても一言もお礼を言わなかったものだから更に感じは悪かった。
実は数日前に初給料を貰っており、電話で「今度会ったときは、俺が食事をご馳走するよ」と言った時、Mちゃんは無反応だったことがあった。なんか変だなと思っていたが、実際何も言われないと感じ悪いものだ。
当時は「잘 먹었습니다」という言葉を知らなかったので女性は男性にお礼を言わない文化なのかと思ったが、ただ単にMちゃんが若すぎてお礼を言うことに頭がまわらなかっただけなのかもしれない。
次回会う約束もせずにMちゃんと高田馬場駅で別れてしまった。
当時忙しかったせいもあり、私からは連絡しなかった。Mちゃんからも私に関心がないのか、それとも女性から連絡をするものではないという考えからはわからないが連絡が来なかった。
こうして私たちは池袋で再会するも、またしばらく会うことはなかった。
